夏音-Ring-(http://www.natsunone.jp/products/ring/index.html)

幼なじみの女の子(彩音)と幼なじみの女の子に恋する女の子(鈴菜)と主人公のお話。そこにいくつか他のキャラクターによるお話が挿入される。

ゲームシナリオとしては人間関係におけるコミュニケーションの話。特に鈴菜シナリオではコミュニケーションを取るのが大事という正論に落とすのではなく、その先を描こうとした点に好感が持てた。

ただ、ゲーム全体としてはいろいろと瑕疵が目立つ。あまりに他作品(音楽・アニメ・ゲーム etc)の引用が多くて、しかも、それをシリアスな部分でも展開していくので興ざめしてしまう部分が多数あった。シリアスな部分での語りが長いので、ゲームに没入させるために力を注がなくちゃいけないのにそこで別作品の力に頼ってどうする。

個人的には、主人公と自分があまりに似ていて(外見以外)、抱えている問題も非常になじみ深い物だった。非常に自分自身にとって痛い作品だった。もしかしたら、シナリオライターの人と僕が結構にているのではないかともちょっと思った。

だから、次回作ではもうちょっと気をつけて書いてほしい、と心から思う。シリアスな場面で主人公に入り込んでいるときに他作品の引用を見つけて急激にさめてしまうのは非常に辛いものだから。

わたしたちの田村くん(2)

わたしたちの田村くん〈2〉 (電撃文庫)

  • 自分が好きな女の子、でも、女の子の方はどう考えているかわからない
  • 自分のことを好きな女の子、こちらもその女の子のことを悪くないと思っている

がいたとして、僕はほぼ確実に後者へと流れていきます。初志貫徹、好きになったら一直線、たとえ様々な障害があろうともその子のことを好きで居続けて。これは僕にとって非常に難しく、状況に流されていきます。それをしょうがない、仕方ないと言い訳するつもりはさらさらないです。何年間も振り向いてくれない同じ相手を想い続けるということが出来る人は中にはいて、それを素直にすごいと思います。

泣いている女の子を見ていたくない、できれば笑顔を見たい。そんな単純なわがまますら許されない不自由な世界で何を選び取っていくか。そんな不自由な世界で何を手に入れるか。

その選択自体が自分に対する軸になっているか。軸ではなく、新たな我慢しがたい不自由になっているなら、その選択を捨て去って新しい軸を見つけるぐらいの自由は許容されています。

そんな中で何を選び取れば良いんだろう?

短い人生の中で僕は何度も同じような疑問を自分へぶつけてきました。この本の主人公の「田村くん」も同じような疑問を何度も作中でぶつけています。最後に彼は一つの回答を選び取ったのですが、もし、違う回答を選び取ったとしてもそれは間違いじゃない。そもそも恋愛を含んだ人間関係に正解も間違いもない。重要なのは正解を探すことではなく、間違いを避けることでもなく、回答を選び取ること。ずっと保留しないこと。言葉にしたら非常に簡単なことなんですけど、実際に体験するとやっぱり迷ってしまう。保留したくなってくる。そんな中で、たとえ不完全だとしても回答を選び取るという姿勢を示したこの作品は非常に真っ当なラブストーリーだったと思います。