夜明け前より瑠璃色な

夜明け前より瑠璃色な 初回版 (DVD-ROM版)

(ネタバレあります)

この前、友人と話していたとき「女の子は黒髪に限る」という話になって、僕は「いや、黒も良いけどさ、色としては重いから他の色が似合う女の子もいるよ。似合う色だったら良いんじゃない?」と言ったら目を見開いて、信じられないという顔をし、実際信じられないと口にし、「非国民」という感じで反論された。まあ、彼に限らず割とオタクの中の一部がよく言うのは「〜〜はかくあるべき」というものだ。良くあるのは「女性はかくあるべき」という主張で彼女たちのことをそのまま認めない。かと思えば、「何故、自分のことをそのまま認めてくれないんだ!」と同じ口で言ったりする。

まあ、僕もオタクなので女の子がわからないという気持ちもわからないでもない。正直言って女の子が僕のことを好きでいるなんて全く信じられない。けれども、僕の周りにいる女の子からオタクだからという理由で嫌われたことはない。(まあ、実際にはあるかもしれないけど僕は気づいていない)嫌われた理由といえば「デリカシーがない」とかそういうオタクの人でもそれ以外の人でもあてはまるようなことだ。まあ、自分だけの世界に引きこもらないで他の世界にも触れていく、そして他の世界を認めていくことができたら、誰かに嫌われたとしても出会った人全員に嫌われるようなことはないと思う。

と、まあ、前振りはここまでにして。オーガストの第四作目「夜明け前より瑠璃色な」という作品をやった。ギャルゲーやエロゲーという女の子がたくさん出てきて自分に惚れてくれるぜ、はっはっはというジャンルの中でも特に「萌え」を重視している(と評される)ブランドである。月に地球から移り住んでいた人が建てた王国があるという設定で、むかし月と地球が戦争をしていたのだけれども月日が経ち(表面上は)ちょっとした文化交流が出来るまで両国の関係が回復し、月の王女様が主人公の家にホームステイにやってくるという物語である。小説の新人賞に出したとしたら、文章がうまくとも「設定が陳腐かつご都合主義的」と二次審査で落ちそうな作品だ。しかも、出てくるキャラクターたちが王女様、お付きのメイド、幼なじみ、お姉さん、義妹、ロリが喜びそうな少女と「これだけ穴を掘っておけばどこかには落ちるだろう!」と勢揃いだ。

しかし、そういった話が終盤になるとちょっと趣が異なる話になる。主人公とメインヒロインである王女が結ばれた後、一緒に王女の母親が探していた月と地球の交流に役立つ物(同時に主人公の父親が研究していた物でもある)を探すという話になってくる。王女の母親はその行為に関して月王国の貴族たちに兵器を探しだし地球に売り渡そうとしているのだ、という濡れ衣を着せられて政治的に失墜させられる。また、主人公の父親は調査中に記憶を失う事故に遭い研究は頓挫している。

ここから描かれるのは人と人とのディスコミュニケーション、及びそこから発生する対立である。主人公とヒロイン、月にいる反地球派とヒロイン(親地球派)、主人公と父親、ヒロインと父親、さまざまなディスコミュニケーションが、相手のことをわかっているという思いこみや決めつけがさまざまな対立を生み出す。しかし、主人公とヒロインの対立はお互いに歩み寄っていくという姿勢を見せ、(相手の気持ちがわからないながらも)コミュニケーションを持続させていく。その時に(単純に相手へ迎合するでもなく)誰にでもわかるような形で自分の考えを示していくことが重要である、ということを示しながら。そして、最後には人と人が交わる際には様々な小さな傷が発生するが、交わらないで自閉すると相手に対する疑念、偏見などによって決定的な断絶(修復不可能な傷)が生じてしまうので、自閉せずにコミュニケートを取っていく姿勢こそが重要であると結論づけている。上記の結論はかなり理想主義的であるが、個人的にはかなり楽しめた。なぜなら、「萌え」を重視しているキャラクターたちが可愛らしい仕草やエッチな仕草でプレイヤーの心を慰撫していく表面をなぞりながら、裏では徐々に自閉している一部のオタクたちに対する反論の種を仕込んでいたからだ。つまり、この作品は一部のオタクたちを批判する作品である、と僕は感じている。

とまあ、個人的にはかなり楽しめた作品であるが、終わった後にネット上の感想を見に行っても同様の感想は見受けられなかった。僕の読み込みが間違っているか、感想の探し方(検索スキル)が足りないかどちらかだろう。あと、正直エロシーンはいらないので、これからやる人にとってはコンシューマ版が出るまで待つのが良いかもしれません。